「なにを求めますか」 01.10.14 列王記上3:4〜15、ヤコブ3:13〜17
「何事でも願うがよい。あなたに与えよう。」そう神がおっしゃったら、なにを願うでしょうか。
次から次へと願いが出てくることでしょう。
願いは尽きることはありません。ただし、それがすべて実現すれば幸いでしょうか。
その願いには、つまらないことや、神に背くことさえ含まれているに違いありません。
それゆえ、神のみ心を正しく知ることが何よりもまず求められるべきです。
ソロモン王は、民を正しく裁き、正しく判断するための心を求めます。
それは、神のみ心を正しく聞く心であり、知恵でした。それを神は大変喜ばれました。
聖書には、ソロモン王の知恵の深さが記されています。
機転がきき、外国にも名の知れ渡るほどの物知りでした。
しかし、ただ機転がきき、物知りというだけであれば、聖書の中でこれ程注目されはしません。
ソロモン王は言いました。「主を畏れることは知恵の初め」(箴言1:7)と。
神を正しく畏れ、神を神とするところからしか、真の知恵は生まれません。神抜きの知恵が暴走し、
奪い、欲求を満たすことに奔走し、多くの悲劇を生み出していることを目にします。
また「どのような知恵も、どのような英知も、勧めも、主のみ前には無に等しい」
(箴言21:30)とも言います。
人間の知恵がすべて空しいというのではありません。
ただ、人間の知恵が及ばない神の領域を認めるところに真の知恵があります。
神の働きというのは、人の知恵が及ぶ程度のことではないのです。
この謙遜さを保つ時に、傲慢でも、無力さに陥るのでもなく神に対する深い信頼を持った、希望を失わない
知恵となります。
このソロモンの知恵は、私たちにも与えられます。機転のきき方や物知り加減では及ばなくても、
神を正しく畏れ、神を神とし、謙遜になって神を信頼する真の知恵を与えられます。
御心を知る知恵を求めたソロモンの必要を満たす神は、私たちの必要も満たしてくださいます。
マタイ6:33のように。